2015年8月2日日曜日

3、神様への疑問

 
神様って、本当にいるの?
 
 
神様に対する疑問は、どんどん増えていきました。
 
 
 
神様がいる、ということは、美しいことだと思う反面、
 
「神様が全知全能なのに、なぜ不幸な人がこの世にいるのか?」
 
「なぜ戦争が終わらないのか?」
 
「今、苦しんでる人たちを助けることが出来ないのは、なぜ?」
 
 
 
広島出身なので、原爆のことも疑問でした。
 
 
「神はなんでも知ってるんだから、原爆が落ちるのも分かっていたのに、
 
 なぜ落ちるときに原爆を手でキャッチしてくれなかったのか?」
 
 
そんな気持ちが、どうしてもありました。
 
 
 
 
神はなぜ、この苦しむ人たちを、ただ見ているだけなのか。
 
  
  
 
また、小さなことも気になりました。

 
神がなんでもご存知ならば、
 
私が今していることも、これから起こす行動も知っているのかな。
 
食事のときに、ごはんから食べるのか味噌汁から食べるのか、というのも、
 
知っておられるのかな。
 
 
ご飯から食べると見せかけて、裏をかいて味噌汁から食べても、
 
それもお見通しなのか。
 
 
 
 
 
 
 
苦しむ人々の存在
 

 
でもやはり、広島生まれとして、
 
神がいるのに、なぜ原爆が落ちたのかが納得できませんでした。
 
 
 
 
また、飢えて死んでいく人がいるのはなぜか。
 
当時、エチオピアの飢餓ニュースがよく流れていました。
 
 
 
 
うつくしい讃美歌も好きだったし、神様がおられたら素晴らしいと思っていましたが。
 
 
「主われを愛す 主は強ければ
 
 われ弱くとも おそれはあらじ
 
 わが主イエス わが主イエス
 
 わが主イエス われを愛す・・・」
 
 
 
 
 
 

イエスが私のために死んだ?
 
 
 
キリスト教では、イエスがわたしの罪をかぶって死んだ、と教わります。
 
 
1800年前に?私の罪をかぶった?・・・何だろうそれは。
 
 
 
そして、その罪は何かというと、「原罪」(げんざい)と言います。
 
 
 
その原罪って何?というと、
 
 
「アダムがエデンの園を出たから」
 
 
知らんやん!そんなん!アダムって誰!?
 
 
 
そこに大きな疑問がありました。
 

なぜ、キリストの死だけがそんなに尊く、私の生と関係があるのか?
 
その理由は、神の子だから、ということでしたが、
 
わたしは納得できませんでした。
 
 
キリスト以外にも、誰かのために犠牲になって死んだ人は、
 
数え切れないほど、たくさんおられるのに、
 
なぜ彼の死だけがそんなに特別なのか。
 
 
これは本当に、腑に落ちませんでした。
 
 
 
 

 
「塩狩峠」(しおかりとうげ)を見て
 
 
 
 
広島女学院では、「聖書の時間」という授業があり、
 
ある日、「塩狩峠」という日本の古い映画を見ました。
 
 
 
本当にあった話らしいのですが、
 
ある国鉄の職員がいて、彼は
 
結核患者であるうつくしい女の人を、とても好きになったのです。
 
 
 
彼女はキリスト教信者で、
 
彼もまた、徐々にキリスト教を信じるようになりました。
 
 
 
そして、結婚しよう、ということになり、
 
その結婚式の前の日に、事件が起こります。
 
 
 
彼が乗っていた列車がトラブルを起こし、
 
止まらなくなり、このままでは大事故でたくさんの人が死んでしまう。
 
どうやって止めればいい?ブレーキもきかない。
 
 
 
そこで彼は、自分はすでに神に救われているから、と、
 
勇気を出して、列車の前にジャンプして、
 
その体をブレーキ代わりにして、列車を止めたのです。
 
当然、彼は亡くなってしまいます。
 
 

結婚を心待ちにしていた女性は、、一人ぼっちになってしまった。
 
 
 
しかしその映画では、
 
 
「彼女はキリスト教信者だったので、
 
 彼女は、おのれを犠牲にして人々を救った彼の死を誇らしく思い、
 
 悲しみではなく、喜びをもって、
 
 彼の死を受け入れた」
 
 
という結末でした。
 
 
 
わたしは、たしかに美しい映画だったけれども、
 
それは、綺麗ごとじゃないか。
 
犬死にじゃないか、こんなの。
 
 
と、思いました。
 
 
 
「彼の死は、たくさんの人を救ったのだから尊いことだけれども、
 
 もし神がいなかったら、その話はどうなるのだ?」
 
 
と、裏からものを見るような気持ちにもなりました。
 
 
 
映画のつくりのせいもあるかもしれませんが、
 
反発する気持ちがありました。
 
 

やっぱり、神というものが、心底からは信じられませんでした。
 
 

神がいるのならば、姿を見せて欲しい。
 
神がいるのならば、すぐに奇跡を見せてほしい。
 



映画を見終わって、先生に「綺麗ごとだと感じた」という感想文を書いて出しました。

しかし、相手にしてもらえませんでした。
 
 
 
 

 
 
 
わたしは天国に行けない
 

 
 
また、別の質問を手紙で書いたことがあり、
 
「神は本当にいるのでしょうか」
 
という内容を書いたのですが、
 
先生からの返事はありませんでした。

むしろ逆に、不真面目な生徒と思われたようでした。

 
 

高校に入る前くらいから、
 
神は見えないし、確証が持てない、ウソなんじゃないか、
 
という気持ちが大きくなってきました。

 

 
そして、
 
「天国の門ははりの穴よりせまい」
 
という言葉があり、
 
私は天国にいけないのではないか?信じていないのだから。
 
と考えるようになりました。
 
 
 
 
 

 
 
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