2015年8月3日月曜日
1、恋愛を頼りにしたけれど・・・
今回は、わたしが経験してきた恋愛について、
振り返りながら、書いていきます。
ある愛の詩(うた)
『ある愛の詩』という映画をご存知ですか?
1970年代のアメリカ映画です。
わたしは、この映画を小学校高学年ごろ、見ました。
オリバーとジェニーという若い2人が出会って、
結局、女性(ジェニー)が白血病で死ぬのですが、
オリバー役のライアンオニールがかっこよくて、
スケートリンクの観客席に座って、
彼が背中を向けて座って言うのです。
「ジェニーが愛したものは、モーツァルトとバッハ、ビートルズ、それに僕・・・」
わたしはこの映画を見て、
ずっと好きってあるんだなあ、すてきだなあ、と思いました。
文学や映画を通じて
母がいわゆる古典文学を買ってくれていたので、
小学校6年~中学校2年にかけて、
武者小路実篤の「友情」「愛と死」など、よく読みました。
「エデンの園」という映画にも、感動を覚えました。
お金持ちの娘と、貧乏な男の子が恋に落ちるのです。
男の子は貧しさの中で犯罪を続け、
結局、刑務所に入ることになり、
刑務所の外から女の子が名前を呼ぶのです。
刑務所に一番近い建物から、
刑務所に向かって呼びかける女の子。
やっぱり、ずっと2人が好き同士というのがいいなと思いました。
どさっと恋に落ちる
「うちは子ども中心じゃけえ」
という、父の言葉を、よく覚えています。
父と母は、
わたしが映画で憧れていたような
「ずっと熱烈に好き同士」という感じじゃなかったので、
少しがっかりしていました。
だから、うちの父と母は、モデルケースにならない、という思いが
ずっとありました。
ちなみに、わたし自身は、恋に落ちるとき、
上からどっさーんと落ちるように、心を奪われることが多かったです。
今にして思えば、
恋愛に真剣なのは、良かったと思います。
とことん傷つきましたが、
それで学ぶことが多かったからです。
恋が成就しなかったり、失恋したりすると、
胸がきゅーっと切なくなったり、
やっぱり胸が痛くなるんだな、と、
胸がちぎれるような感じを味わったり。
誰かを好きになると、
ジェットコースターみたいに気持ちが上下します。
たまたま一緒に帰れたら、うれしくて天にものぼる。
でも、他の子と一緒にいたよ、と聞いたら、
とても悲しくなって落ちこむ。
そういうことが、すごく幸せだったな、と、
今になって思います。
心が耕されたと思うのです。
恋愛で経験する、愛憎や、愛別離苦、嫉妬。
人を好きになったら盲目になるんだな、とか、
ほんとうにその人のためだったら何でもできると思ったり。
嫉妬をしたら空を焼き焦がす気持ちになったり。
だから、仏教の教えを聞いた時、すっと腑に落ちました。
自分は、ほんとうに恐ろしい心を持っているんだな、と。
闇の中にいるというか、手探りというか。
当時の日記を読み返すと、そのときの感情がよみがえってきます。
胸が痛かったことも思い出すけど、
ささいなことで、ああ、今日会えたらいいのにな、と思って、
何かがあって偶然会えたり、
会えなかったけど、上着だけ置いてあって、胸がどきどきしたり。
今から考えると、
そういうことって、
やっぱり宝物だと感じがします。
恋愛を振り返ってみる
でも当時は、二度と恋なんかしない、と毎回思いました。
こんな苦しい思いをするくらいなら、と。
でも、また好きになるんですよね。
恋愛に対する、希望と絶望
わたしは、恋愛についてずっと疑問に思っていたことがありました。
「なぜ付き合って時間が経つと、ぬるま湯みたいになるんだろう?」
時間がたつと、当たり前の関係になって、
ぞんざいな付き合いになって、愛が冷める。
相手から冷めることもあれば、わたしから冷めることもある。
恋愛は、熱さが続いている3ヶ月目までが好き、と思っていたこともありました。
「ナインハーフ(9と2分の1)」という映画があって、
それは恋愛が冷めるまでの時間のことです。
9週間と半分、つまり2ヶ月ちょっとは恋愛の熱が続く、という意味。
当時とても流行した映画で、
音楽もかっこう良かったです。
そういう、ナインハーフという言葉があるように、
恋愛の電気が走るような熱い感覚が、3ヶ月もすれば薄れていく。
ドキドキ感が無くなっていく。
やっぱり、自分勝手な行動とか、
相手に言うことを聞かせようとか、
そういうのが嫌になってくるのが常でした。
またか、と。
だから、絶対的に私のことをずっと好きでいてくれる人って、いないのかな。
ずっと最初の勢いで恋してくれる人って、いないのかな、と。
そう簡単には結婚しないぞ
わたしが高校生のとき、とても好き同士だったある2人が結婚しました。
そして、翌年には子どもを生んだのです。
しかしその次の年、離婚しました。
それを見て、わたしは結婚に望みを持たなくなりました。
あんなに好き同士だったのに。
遠距離恋愛で電話で2時間も3時間もしゃべる、
デートして帰ってきてもまだしゃべる。
そんな、とても好き同士だった2人なのに、
遠距離恋愛になったとき、
バケツをひっくりかえしたように毎晩泣いて。
どうしようもないので、すぐに籍を入れることになって。
そして無事に出産までしたのに。
次の年には別れることに。
ああ、あんなに好きどうしだったのに、だめになっちゃうんだなあ。
それがとてもショックでした。
わたしは結婚しないぞ。
子どもも、少々のことじゃあ、生まないぞ。
そう決心しました。
あんなに好き同士でも別れるんだし、
子どもがかわいそうでした。
よっぽどじゃないと、結婚しないし、子どもも生まないぞ。
また、結婚以外の何かを見つけないといけない、とも思っていました。
男性に経済的に頼らないでも、生きていけるようにならないと。
恋愛に依存してしまわないように
最初に書いた映画「ある愛の歌」のキャッチフレーズは
「愛とは、決して後悔しないこと」
でした。
わたしも、恋愛に対して、
逃げない、逃げ腰にならない、後悔しないぞ、
という信念がありました。
だから、付き合うときも、いつも真剣でした。
でも一方で、恋愛に100%頼ってはいかん、という思いもありました。
燃え続けるような恋愛じゃないと、という思いも、はっきりありましたが。
理想の関係
「大草原の小さな家」のチャールズとキャロラインのような、
ずっと愛し合っている夫婦に、憧れていました。
また、ダリとガラのような、熱烈な関係にも憧れていました。
(ダリはスペインの画家で、シュールレアリズムの代表的作家で、
ぐにゃりと曲がった時計の絵など、みなさんも見たことがあると思います。)
ガラは、元々、夫も子どももいたのに、ダリと一緒になったのです。
ガラは「わたしを殺して」とダリに言ったのです。
ダリは「ガラがいないと、ぼくは生きていけない」というのです。
そんな、「その人がいなければ、生きていけない」という強烈な愛に、あこがれました。
わたしの中に、確かな手ごたえを与えてくれるものを、求めていたのです。
このように、わたしは運命の相手を望んでいたのですが、
現実には恋愛の熱は長続きせず、幻滅するのでした。
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