2014年8月20日水曜日

思い込みを外して、幸せを増やそう

こんにちは、光雲じゃ。

今日のテーマは、「思い込みを外して、幸せを増やす」ということです。

読んで字のとおり、思い込みを外すと、幸せが増えるんじゃ。



それはどういうこと? と思う人もあるじゃろう。



たとえば、「私は料理が苦手だ」という思い込みを持っていたとするね。


すると、料理が苦手だと思い込んでるから、ますます料理をしなくなる。

→ますます料理の腕がにぶる

→さらに料理が苦手になる・・・

という、悪循環をくり返すことになるんじゃ。



そして最終的に、「私は料理が苦手だ」という思い込みを、実現してしまうんよ。




これは苦しいと思うんじゃ。

料理をする場面に出会うたびに、つらい思いをするけえ。

でもほんとは、そんな思い込みを外して、料理を楽しめたら、すぐに上手になったりするもんなんじゃ。




料理だけじゃなくて、いろんな思い込みがある。


「歌がへただ」

「運動おんちだ」

「異性に人気がない」

「人と話すのが苦手だ」


「他人のお世話をしないといけない」

「親より幸せになってはいけない」

「金持ちになってはいけない」


「人生を楽しんではいけない」

「安定した人生を求めないといけない」

「怒ってはいけない」

「泣くのをガマンしないといけない」


などなど。

ほかにも、色んな思い込みがあるじゃろうね。



その多くが、人生のどこかでたまたま思い込んでしまっただけ。

よく考えてみると、ちゃんとした根拠は無かったりするんじゃ。






この現象をうまく言いあらわした話がある。

それは、ゾウさんじゃ。

耳が大きくて鼻が長いゾウさん。



ゾウを飼っている人が、まだゾウが小さいときに、杭にロープでその子ゾウつないだんじゃ。

まだ子ゾウじゃけえ、ゾウは杭を引き抜くことはできない。

そこで子ゾウは、「自分はこの杭を引き抜けない」と思い込んでしまったんじゃ。



その後、ゾウは成長して大きく大きくなった。

杭なんてすぐに引っこ抜けるくらいに成長したんじゃ。



でも、じゃ。

その大人になったゾウは、「自分はこの杭を引き抜けない」と思い込んどるから、

つながれたまま、おとなしくしとるそうじゃ。





どうじゃろうか。

この、不自由なままでいるゾウ。

まるで、料理が苦手だと思い込んどる人のようじゃろう?





さて。

このゾウの話はこれでおしまいなんじゃけど、わしはさらに考えてみた。

じゃあ、このゾウさんはどうすれば杭を引き抜いて、自由になれるじゃろうか?




わしが考えた答えをいくつか書くね。


1つめは、

・他のゾウが杭を引き抜くのを見て、「自分にも杭が引き抜ける」ことを知る。

→ あいつができるんだったら、自分もできるんじゃないか、ということじゃね。


2つめは、

・友だちのゾウから「お前、なんでそんな小さな杭につながれてるんだ? もう引き抜けるんじゃないか? ためしに引っぱってみろよ」と声をかけてもらう。

→ 友だちは、ときどき、こういうことを気づかせてくれるけえね。


3つめは、

・鏡を見てみる。そして「カンタンに引き抜けるはずの小さな杭に、おとなしくつながれている自分」に気づく。

→ これは、自分の実力を正確に知る、ということじゃね。

  自分を過小評価しない、ということ。



こんなところじゃ。






じゃあ、ゾウさんじゃなくて、わたしたち人間だったらどうじゃろうか?

あなた自身の思い込みは、どうやったら外せるじゃろうか?




わしらはゾウさんじゃないし、杭とロープは目に見えるけど、

思い込みは目に見えんけえ、むずかしいよね。


でも、思い込みを外すのは、不可能じゃないけえ。





わし自身が、思い込みを外してきて、大事だと感じたポイントをおしえるけえね。

とゆうても、ポイントはカンタンじゃ。



それは、

「安心できて、リラックスできる場所をもつ」

ということじゃ。



ちがう言葉でいえば、「どんな考えを持ってもよい、何を言ってもよい」と自分に許可してあげること。



そうすれば、自由に考えられるけえ、

「今、なんか苦しいけど、かたよった思い込みがあるんじゃないか?」と、気づける。

「本当にこの思い込みって、正しいんだろうか?」ということも、考えられる。





ちょっと、分かりにくいかな?




もっと具体的にいうとじゃね。


まずは、当然じゃけど、マイナスの思い込みを押し付ける人から、はなれよう。

「お前は料理が苦手だな」とか言ってくる人がおれば、とりあえず、はなれるんじゃ。

そういう人がすぐ近くにおったら、「本当は、自分は料理が得意かもしれん」なんて、なかなか考えられんけえね。





そして、リラックスできる場所に行こう。

もしくは、信頼できる人に話を聞いてもらうのも、すごくええよ。




大事なことじゃけえ、くり返すけど、

「どんな考えを持ってもよい、何を言ってもよい」と自分に許可してあげられる場所に行くんじゃ。





さて、次じゃ。


今度は、自分を苦しめる思い込みを、洗い出していくんじゃ。


・何をしてるときに、つらくなったり、ストレスを感じるじゃろうか?

・なぜそれで、つらくなるんじゃろうか?

・かたよった思い込みがあるんじゃないか?

・その思い込みは、ほんとうに、自分が納得できるものじゃろうか?

・その思い込みが生まれた原因で、すぐ思い浮かぶものは?



こんなことを、リラックスできる場所で、調べていくんじゃ。





これをやりよるときは、体の感覚にも、気をつけるとええよ。

自分を苦しくさせる思い込みに近づいたら、体が重く感じたり、固くなったりする。

これが思い込みに気づくヒントになるけえ。




これをやると、ほんと、たくさんのことに気づけるんじゃ。

自分が知らなかった自分に出会えるけえね。




一度、思い込みを発見できたら、日常生活でも気づけるようになるよ。

「あっ、また自分は料理が苦手だと考えてたなあ」

という感じで。




そして、それに気づいたら、

「ほんとうにその思い込みって、正しいの?」と自分自身に言ってあげるとええんじゃ。




こうやって、マイナスの思い込みをくずしていくと、おもしろいことが起きる。

人によっては、小さいころに料理を楽しんだ記憶を、思い出せることもあるんよ。




マイナスの思い込みは、自分の実力を、極端に小さく見せるもの。

過去に達成できたことを、忘れさせたりするけえね。




しかも、こういう思い込みのせいで苦しくなっとるケースって、ものすごく多いんじゃ。


逆にいえば、なにか苦しい気持ちになったら、

「かたよった思い込みがあるんじゃないか?」

と確かめてみてもええほどじゃ。





何回もくり返すけど

自分が苦しくなるような思い込みを見つけたら、

「本当にそうかな?根拠はあるの?」

と自分に問うてみるとええ。



ほとんどの場合、論理的な根拠なんて無い、ただの思い込みなんじゃ。

その多くは「小さい頃、親にそう言われたから」「友だちがそう言ったから」という程度のことじゃ。



この「親がそう言ったから、友だちがそう言ったから」というのは、ただの過去の出来事じゃ。

過去にそう言われたからといって、あなたが本当に料理が苦手だったり、異性に人気がなかったりするわけじゃない。



ただ、「自分は料理が苦手」「異性に人気がない」というフィルターで、自分を見てしまうくせがついとるんじゃ。

だから苦しくなるんじゃ。






わしにも、そういう思い込み(フィルター)はある。

まだまだ気づいてない思い込みも、たくさんあるじゃろう。




でも、1つ思い込みを外すことができたら、次の思い込みを外すのが簡単になるんじゃ。

思い込みを外すこと自体に慣れるけえね。





苦しくなるような思い込みは、外せば外すほど、楽になるけえ。

料理が苦手だった人も、その苦手意識がなくなれば、余計なストレス無しで料理できるんよ。

そうやって、苦しみを減らして、幸せを増やしていけたらいいよね。






じゃあ、逆に、プラスの思い込みについても、考えてみたい。

もし「自分は幸せな人生を送れる」というプラスの思い込みを持ってるとしたら、それも根拠が無いということになるんじゃろうか?




わしは、そうは思わんのんじゃ。

だって、わし自身、幸せなことが大好きじゃし、わしの周りは、支えてくれる人でいっぱいじゃ。





もしも小さい頃に「幸せにはなれないよ」と誰かに言われても、そんな一言よりも、

今、幸せが好きな自分がいて、まわりに助けてくれる人がいる事実の方が、よっぽど根拠があるんじゃ。

そうやって、ほんとうに自分が納得できる根拠を、つかんでいけばええんよ。





もしお友だちが苦しんどったら、思い込みを外すお手伝いをしてあげられると、すてきじゃね。

お友だちが話すのを、否定せずに聞いてあげるだけでも、気づきが起こるけえ。

話を聞いてくれる味方がいれば、なかなか外れんような強い思い込みすら、外れる可能性が生まれるよ。




そして、お互いに思い込みを外しあえる人間関係を広げていけたら、最高じゃ。

どんどん苦しみがへって、幸せが増えるけえ。




そういう意味では、これは、みんなで幸せになることができる方法の1つじゃね。






長くなったね。

ここまで読んでくれて、ありがとう。





最後に。

わしは、苦手なことがあるのは、悪いことじゃないと思う。

すごく完璧に見える人でも、もし苦手なことがあったら、それがその人のチャーミングポイントになるけえ。




でも、苦手なことがあるせいで、とても苦しい思いをしているとしたら、つらいよね。



もしかしたら、あなたのその苦しさが楽になるんじゃないか、と思って、この文章を書いたんじゃ。




いっしょに幸せを増やしていこうね。








2014年8月18日月曜日

着物を安く楽しもう




今日は、着物は安くでも着れるよ、ということをお話ししたいんじゃ。


 着物というと、みんなのイメージは、

とても高くつく、
汚したら大変、
苦しくて動きにくい、
なんだかルールがあって難しそう、

という感じじゃないじゃろうか?
 
 


先日、お茶のおけいこの仲間たちとのランチがありました。
そのとき私は、上の写真のような着物を着たんじゃ。
 
 
外は雨。ふつう、着んじゃろう。
でも着るんじゃ、わたしは。
 
 
まず、この赤い着物。
色がだいすきなんだけど、洗える着物なんよ。
そしてなんと、弘法さん(京都の東寺で毎月ひらかれる市)で、500円じゃ。






 
 
  

こちらの写真にある半襟には、花柄が見えてるんだけど、
これは、100円ショップでかった手ぬぐいをぬいつけたのだ。

 
 
 

 
 
 

 
 
帯も、好きな布を使えるんじゃ。
このかわいい兵児帯(へこおび)も、もともとはカーテン用の布をちくちくぬって、帯にしたんじゃ。
手縫いでいけるし、そんなに大変じゃないよ。
 
 
 
 
 
帯留めという、帯の真ん中につけるアクセサリーもあるんじゃ。
写真のやつは、グリーンのとんぼ玉を、ラブリンクスというジュエリーの玉ではさんでみた。
きれいじゃ。
 
帯締め(細いひも)は、手芸やさんで120円でかった。
 
 
 



着物にはどんな指輪が合うんですか、というのも、よく聞かれる。

けっこうみんな、ひかえ目な指輪をしてしまいがちじゃけど。
着物には、着物の柄に負けんような、大振りな指輪のほうが、似合うんじゃ。





 この
写真にあるのは、お気に入りの、お花の指輪じゃ。
  





よく言われるのが、


「着物って、高いでしょう。10万はかかるし」

というんじゃが。


見ての通り、そんなことないんじゃ。
 
 
そりゃあ、高い着方もあるけど、昔の人にとったら、普段着じゃし。
わたしらも、もっと気楽に着たらええと思うんじゃ。
 
 
それよりなにより、着物って楽しいんじゃ。
色を自由に組み合わせられるけえ。
絵を描きよるみたいじゃ。


  
 
着て歩いたら、いいこといっぱいあるよ。

どこのお店でも、ていねいに応対してもらえるし。
カフェでも、1番いい席に案内してもらえるよ。
 
一日で、いろんな人から、素敵ですね、といわれたり。
そういう目で見られたり。

お姫さま気分じゃ。
 
 
そういうわけで、わたしは、お出かけは着物にするようにしとるんじゃ。





 
 

2014年8月15日金曜日

大事な人が亡くなった方へ・・・悲しみを癒す

こんにちは、光雲です。
わしはお坊さんじゃけえ、この夏、いくつかお盆参りさせてもらったんじゃ。


今日は、大事な人が亡くなった悲しみについて、書こうかな。


いきなりじゃが、わしも、おととし、父を亡くしたんじゃ。
わが父・正男は、わしにとって、本当に大事な存在じゃった。


父はわしを「皇室に嫁に出しても恥ずかしくない、自慢の娘」といつも言うとった。
毎日のように、うちの娘は世界一じゃ、とゆうてくれて、
しかもそれは、本気じゃった。
たまらん、という感じで、ため息とともに言いよったもんじゃ。


こうも言うとった。
「美人なだけならどこにでもおる。うちの娘は、美人で、しかも品がある。
 品というものは、そうそう、あるもんじゃない。」


日本人ばなれした、愛し方じゃった。
本当にわしを愛してくれた、偉大な父じゃ。


そんな父が、おととし、死んでしもうたんじゃ。
わしがアメリカに行って、すぐのことじゃった。


母からそのことを電話で聞いて、心底、ショックをうけたんじゃ。


父とは、仲が良かったほうじゃと思うけど、親子だから、けんかしたこともあった。
自由奔放だった父は、時に家族をこまらせることもあり、
こまりにこまって、父に「大嫌い」と言ったことがあった。


そのことが、頭をぐるぐると回り、もう一度父に会って、とても愛していたよと言いたかった。
そして、いつもの何気ない父の声「おう、ゆうこか」という声が、どうしても聞きたかった。


後を追ったら会えるんじゃろうか、とまで思ったりした。


そのときは、アメリカの大学院の寮に住んでいて、
小さな仏さまをまつってある部屋があり、
そこに突っ伏して、何度も泣いた。


なんで、わたしを待ってくれんかったのか。
父は、わたしの結婚式のときも、身体を壊して、来ることができなかった。
どうして肝心なときに、いつもいっしょにいれないんだろう。


父に対して、怒りまでおぼえた。


それから数ヶ月は、子どもを前に泣くこともできず、
日常は不思議なくらいに、父がいなくても流れていく、


わたしも、顔だけは笑いながら、するべきことをこなす。
でも本当は、体の一部が無くなったようで、片腕が無い。
それなのに、治しもせずに生きている、変な感じ。


この頃を思い出すと、出口の無い、長い長いトンネルをあるいていたような気がする。
そのときから2年たち、わたしがどうやって立ち直ったのかなあ、と考えてみる。


そのとき1番しあわせだったことは、バークレー仏教会のデビット松本先生が、
「すぐにお葬式をしましょう」と言ってくださったことじゃ。


アメリカでお葬式をされるとは、父もおどろいたと思うが、
友人と娘たちと、ごく少数で御葬式をしてもらった。


そのとき、わたしは、嗚咽をあげて、おもいっきり泣いた。
先生にも、わたしの父に対する後悔の話を、聞いてもらった。


行ったばかりにもかかわらず、たくさんの新しい友人にかこまれて、みんなが優しくしてくださった。
そしてわたしは、父に対する悲しみを、何度も何度もくりかえし、色んな人に語った。
ちょうど機会があったので、何度か、法話にもさせてもらった。


この、くりかえし悲しみを語る、ということで、思いがけず初対面の人やさまざまな人から、やさしい言葉をもらったり、みなさんの悲しかった両親との別れなどを聞かせてもらった。


それはまるで父が引き合わせてくれたようで、
話していくプロセスの中で、わたしはたくさんのプレゼントをもらうようじゃった。


話をすることで、少しずつ、父のいない世界に慣れていったように思う。


大事なことは、このときに、色んな人の口を通して、さらに
父がいかにわたしを愛してくれたのか、ということを実感できたこと。
父は、死んでもなお、わたしにたくさんのプレゼントを与えつづけてくれるのだなあ、と思えたんよ。


いつも広島にいて、離れて暮らしていた父だけれども、
今は、父がいつもとなりにいてくれると自然に思うようになったけえ。


一日に一回は、父に話しかけたりして。

とくに、自信がないときに、
「お父さん、最後までやりとげれるかねえ。できるじゃろうか、わたしに。」
と言うと、父は、
「あんただったら、必ずできる。ゆうこはやりとげる。」
と、答えてくれるんじゃ。


だからわたしは、悲しみのトンネルから抜けるには、
くり返しくり返し、悲しみを語ることが大事だと思う。


そのことを通して、自分がいかに深い愛と恩を受けているかを実感して、
それはさらに力強く生きていく力になるけえ。


わたしはお参りに行かせてもらうときは、お葬式、月参りと、
悲しいお気持ちをずっと聞かせてもらいます。
悲しくてやりきれないときは、連絡をいただいて、話を聞きにうかがって。


同じ話になってもいいので、何度も聞かせてもらいたいと思うんじゃ。


どうか、もしも聞く側の人がおられたら、
けっして「それはもう、前に聞いたよ」と言わずに、
最後まで何度も聞いてもらいたいと思います。


悲しむということは、とても大事な気持ちのプロセスじゃけえ。


無理に「早く立ち直らなくては」とか、「忘れてがんばらなくては」と思わず、
悲しいわたしを、大事にしてあげてください。



信頼できる人に、何度も、悲しみを語ってください。



受けとめてもらうことで、
さらに、亡くなった方からの愛情やご恩に気づいていくことができるけえ。



悲しみは、何度も話すことで、昇華されていくけえ。



でも、こういう悲しみを人に話せず、
心にかかえたまま生きている人が、実はたくさんいるんじゃ。

顔では笑っていても、その悲しみだけは整理できずに。



今回の話は、そんな悲しみを持つ人たちと、共有できたらいいよね。


少しでも、その人たちの悲しみが昇華されて、楽になるのを願っとるよ。






 

2014年8月14日木曜日

生理を楽にしよう


 
今回は、生理のお話です。
 
でも、女子だけでなく、女子にやさしくしたい心のある男性も、必見です。 


 
女子のみんなは、ナプキンやタンポンを使っているでしょう。
 
 
わたしも、以前は使っていました。
 
でも今は、使う機会はほとんどありません。
 
それに、使わない方が体が楽になるのです。
 
 
 
というのも、ナプキンやタンポンを使うと、出血が増えて体に負担がかかるのです。
 

 
 
ところで、昔の女性には、月経血をある程度コントロールできる人がたくさんいたそうです。
 
今みたいにナプキンが売っていなかったのですが、
 
布きれをあてておくだけで大丈夫でした。
 
 
 
 
具体的には、下腹部と膣部にぐっと力をいれて、もれないようにしておいて、
 
血がたまってきたらトイレにいって出す。
 
信じられないかもしれませんが、この方法で十分だったのです。
 
 
  
わたしも、くっとお腹に力を入れて、コントロールするようにしています。
 
 
 
 
今は布ナプキンも、いいのがいろいろ出ています。

 
 
 
でもわたしは、あとで洗うのがめんどくさいので、
 
いらないタオルなんかを切って使っています。
 
友だちは、ハンドタオルを使ってたりします。
 
 
 
 

それに布ナプキンだと、洗って干しているときが、なんだか恥ずかしいという人も多いです。
 
その点、いらない布切れならそのまま捨てられるし、
 
ハンドタオルも、洗って干しといても、抵抗が無いそうです。
 
 
 
 
ところで、市販のナプキン(タンポン)というのは、体に良くないのです。
 
なぜかというと、ナプキンもタンポンも、化学物質いっぱいでできています。
 
 
 
 
あんなに漏れないようにできているって、おかしいと思いませんか?
 
さらに、あまりにも吸収力が強いため、膣内を破壊して、
 
それでかえって出血が増えて、ますますナプキンを使うことになって、
 
ナプキン会社は大喜び、という仕組みらしい。
 
 
 
 
よくよく考えてみれば、昔の人はナプキンなしでも問題なく暮らしていたのです。
 
ならば、現代のわたしたちだって、出血を増やすようなナプキンに頼らなくてもいいはず。
  
 
 
 
 
以前はわたしもナプキン使っていましたが、今と比べて出血が多く、生理痛もひどかったです。
 
それがナプキンをやめただけで、出血は劇的に減って、生理期間も短くなりました。
 
 
 
 
わたしの友だちも、それまでの生理期間のつらさ・貧血・頭痛・腹痛・ひどい出血が、
 
たちまち治って、今まではなんだったんだろう、と言っています。
 
 
 
 
興味がある人は、いい本があるので、読んでみてね。
 
 
 
 
 

 
 
 


オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す
http://www.amazon.co.jp/dp/4334032664


昔の女性はできていた―忘れられている女性の身体に“在る”力
http://www.amazon.co.jp/dp/4796641386
 
 
 


女性の身体は、とても大事なものなんです。
 
赤ちゃんを誕生させることができるのですから。
 
 
 
みんな、大事にしようね。
  
 
 
 
 
いきなり布だけでは頼りない、という人は、とりあえず最初は、
 
外出しない日・量が多くない日に、ぜひ試してみてね。
 
 
 
 
 
化学ナプキンは、蒸れますよね。
 
布だったら、皮膚もとても楽なんですよ。
 
 
 
 
 
生理に悩んどる女性は、意外なほど多いんです。
 
男性も、恋人やパートナーが生理でしんどそうだったら、
 
布ナプキンをおすすめしてあげてね。

 
 
 
 
大切な人の悩みを、1つ減らしてあげられるかもしれませんよ。
 
 
 
 
 

 
カテゴリ ”心の幸せをふやそう”
 
→次ページ 「1、そもそも幸せは、どうやって生まれる?「愛情のコップ」」
 
 
 
 
 
 
 

 

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