こんにちは、光雲です。
わしはお坊さんじゃけえ、この夏、いくつかお盆参りさせてもらったんじゃ。
今日は、大事な人が亡くなった悲しみについて、書こうかな。
いきなりじゃが、わしも、おととし、父を亡くしたんじゃ。
わが父・正男は、わしにとって、本当に大事な存在じゃった。
父はわしを「皇室に嫁に出しても恥ずかしくない、自慢の娘」といつも言うとった。
毎日のように、うちの娘は世界一じゃ、とゆうてくれて、
しかもそれは、本気じゃった。
たまらん、という感じで、ため息とともに言いよったもんじゃ。
こうも言うとった。
「美人なだけならどこにでもおる。うちの娘は、美人で、しかも品がある。
品というものは、そうそう、あるもんじゃない。」
日本人ばなれした、愛し方じゃった。
本当にわしを愛してくれた、偉大な父じゃ。
そんな父が、おととし、死んでしもうたんじゃ。
わしがアメリカに行って、すぐのことじゃった。
母からそのことを電話で聞いて、心底、ショックをうけたんじゃ。
父とは、仲が良かったほうじゃと思うけど、親子だから、けんかしたこともあった。
自由奔放だった父は、時に家族をこまらせることもあり、
こまりにこまって、父に「大嫌い」と言ったことがあった。
そのことが、頭をぐるぐると回り、もう一度父に会って、とても愛していたよと言いたかった。
そして、いつもの何気ない父の声「おう、ゆうこか」という声が、どうしても聞きたかった。
後を追ったら会えるんじゃろうか、とまで思ったりした。
そのときは、アメリカの大学院の寮に住んでいて、
小さな仏さまをまつってある部屋があり、
そこに突っ伏して、何度も泣いた。
なんで、わたしを待ってくれんかったのか。
父は、わたしの結婚式のときも、身体を壊して、来ることができなかった。
どうして肝心なときに、いつもいっしょにいれないんだろう。
父に対して、怒りまでおぼえた。
それから数ヶ月は、子どもを前に泣くこともできず、
日常は不思議なくらいに、父がいなくても流れていく、
わたしも、顔だけは笑いながら、するべきことをこなす。
でも本当は、体の一部が無くなったようで、片腕が無い。
それなのに、治しもせずに生きている、変な感じ。
この頃を思い出すと、出口の無い、長い長いトンネルをあるいていたような気がする。
そのときから2年たち、わたしがどうやって立ち直ったのかなあ、と考えてみる。
そのとき1番しあわせだったことは、バークレー仏教会のデビット松本先生が、
「すぐにお葬式をしましょう」と言ってくださったことじゃ。
アメリカでお葬式をされるとは、父もおどろいたと思うが、
友人と娘たちと、ごく少数で御葬式をしてもらった。
そのとき、わたしは、嗚咽をあげて、おもいっきり泣いた。
先生にも、わたしの父に対する後悔の話を、聞いてもらった。
行ったばかりにもかかわらず、たくさんの新しい友人にかこまれて、みんなが優しくしてくださった。
そしてわたしは、父に対する悲しみを、何度も何度もくりかえし、色んな人に語った。
ちょうど機会があったので、何度か、法話にもさせてもらった。
この、くりかえし悲しみを語る、ということで、思いがけず初対面の人やさまざまな人から、やさしい言葉をもらったり、みなさんの悲しかった両親との別れなどを聞かせてもらった。
それはまるで父が引き合わせてくれたようで、
話していくプロセスの中で、わたしはたくさんのプレゼントをもらうようじゃった。
話をすることで、少しずつ、父のいない世界に慣れていったように思う。
大事なことは、このときに、色んな人の口を通して、さらに
父がいかにわたしを愛してくれたのか、ということを実感できたこと。
父は、死んでもなお、わたしにたくさんのプレゼントを与えつづけてくれるのだなあ、と思えたんよ。
いつも広島にいて、離れて暮らしていた父だけれども、
今は、父がいつもとなりにいてくれると自然に思うようになったけえ。
一日に一回は、父に話しかけたりして。
とくに、自信がないときに、
「お父さん、最後までやりとげれるかねえ。できるじゃろうか、わたしに。」
と言うと、父は、
「あんただったら、必ずできる。ゆうこはやりとげる。」
と、答えてくれるんじゃ。
だからわたしは、悲しみのトンネルから抜けるには、
くり返しくり返し、悲しみを語ることが大事だと思う。
そのことを通して、自分がいかに深い愛と恩を受けているかを実感して、
それはさらに力強く生きていく力になるけえ。
わたしはお参りに行かせてもらうときは、お葬式、月参りと、
悲しいお気持ちをずっと聞かせてもらいます。
悲しくてやりきれないときは、連絡をいただいて、話を聞きにうかがって。
同じ話になってもいいので、何度も聞かせてもらいたいと思うんじゃ。
どうか、もしも聞く側の人がおられたら、
けっして「それはもう、前に聞いたよ」と言わずに、
最後まで何度も聞いてもらいたいと思います。
悲しむということは、とても大事な気持ちのプロセスじゃけえ。
無理に「早く立ち直らなくては」とか、「忘れてがんばらなくては」と思わず、
悲しいわたしを、大事にしてあげてください。
信頼できる人に、何度も、悲しみを語ってください。
受けとめてもらうことで、
さらに、亡くなった方からの愛情やご恩に気づいていくことができるけえ。
悲しみは、何度も話すことで、昇華されていくけえ。
でも、こういう悲しみを人に話せず、
心にかかえたまま生きている人が、実はたくさんいるんじゃ。
顔では笑っていても、その悲しみだけは整理できずに。
今回の話は、そんな悲しみを持つ人たちと、共有できたらいいよね。
少しでも、その人たちの悲しみが昇華されて、楽になるのを願っとるよ。