2015年1月27日火曜日

父の誕生日

昨日は、うちの父の誕生日でした

生きていれば、78才なんですよね



意外にもわたしの好きな俳優と、誕生日がおなじで、びっくりです。

それは、「ベニスに死す」という映画の美少年、ヴィヨルン・アンドレセンと、

「明日に向かって撃て」などで有名な、ポール・ニューマンと、同じ誕生日です。 



父はわたしに、多くのすばらしい影響をあたえてくれた人です。

いまでも、父のように愉快でおもしろく、かわいらしい人にあったことがありません。



父は、わたしのことを溺愛してくれて、

定番ですが、「目に入れても痛くない」ということを、何度も言っていました。



父はよく、ため息まじりに、


「うちの娘ほど、美人な娘はおらん。

 ただ美人なだけなら、どこにでもおる。


 うちの娘は、なんじゃゆうても、"品"がある。

 この品というものだけは、持って生まれたもんじゃけえ、

 つけようと思っても、つけられるもんじゃない。


 うちの子だけは、皇居に嫁に出しても恥ずかしくない」


ということを、何度も言うのです。




成人してから、わたしは、たびたび父に感謝の言葉をかけました。


わたしは中学のときから、高い私立学校に行かせてもらって、

大学も広島をはなれ、ずいぶんお金をかけてもらいました。



「ありがとうね、おとうさん。裕子のために、たくさんお金を使わせたね。」



すると、ある日、父は、涙まじりに



「そんなお礼なんか、言わんでいいんじゃ。

あんたは、なんぼお金をぶちこんでも、おしくない女だったんじゃ。」



それを聞いて、わたしは、親というものはありがたいなあ、と、心からおもいました。





父は、いつもだれかを笑わかせようと、にこにこしているひとでしたが、

けっして、いつも周りを見て気を使っているわけではありませんでした。



自分の世界に生きていて、家族4人でいるときに、1人新聞の記事などに入り込んで、

わたしたち3人がまわりでさわがしく話していても、気がつかないようなときがありました。


そして、急に会話に入ろうと思ったのか、もうその話題が終わってるのに、

2つ3つ後ろの話題についてしゃべりはじめるのです。


すると、母がかならず、


「まあお父さん、乗り遅れた船に乗ろうと思ってからに。はあ遅いわいね。」


というのです。


すると父が、


「足だけかけとったんじゃがの。」


などと言い、家族4人の夕食は、いつも爆笑続きでした。

お腹が痛くなるほど、わらっていました。



わたしにとっては、これが普通だと思って大きくなりましたが、

大人になって友だちと家族のことについて話し合うと、

なかなか、うちのようなド明るい家は無いようでした。



つらいことがあっても笑い話にする、父はそういう人でした。






お父さん、いつも愛しています。







 

 

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