2015年8月2日日曜日

2、美しい祈り

 
 
なぜ、同じキリスト教で、こんな違いがあるのか?
  
 

 
 
あとで学んで分かったのですが、
 
 
キリスト教全体でいうと、カトリックが大きく広まっており、
 
信者の半分以上を占める大きな一派なのでした。
 
 
カトリックでは、教会・神父さん・信者さん、この関係がすごく濃厚です。
 
神父は聖職者で結婚もしないし、「信仰に導いてくれるすごい存在」になりがち。
 
すごい存在だから、権威力もあるし、信者はお金をたくさん払う。
 
教会も、立派なステンドグラスや絵画がせまってくる、とても荘厳でありがたい雰囲気。
 
 
 
そのカトリックの歴史を古くから見ると、
 
権威も集まりお金も集まり、次第に腐敗していったようです。
 
 
 
法王なのに女を買い漁っていたり、
 
男の法王と言われていたが実は女性で、馬の上で出産したとか、
 
そんな、うそのような話まであります。
 
 
 
 
 
 
腐敗への反発から生まれたプロテスタント 
 
 
 
プロテスタントは、そういうことに反発してできたもの
 
始まりはマルチン・ルターという人から。
 
 
 
カトリックとは反対に、教会は素朴にシンプルに。
 
 
 
信仰面でも、牧師が信者を信仰に導くというより、
 
信者が神を信ずる信仰心そのもの、それを根拠として救われていく。
 
 
 
そういうことを主張して後に出てきたのが、このプロテスタント。
 
だから、別に牧師さんといっても、
 
ローマ法王のような立派なローブを着ているわけではありません。
 
 
 
 
ちなみに、アメリカは全般的にプロテスタントが広まっています。
 
 
 
 
 

広島女学院はプロテスタントのメソジスト派
 
 
 
 
私が入った広島女学院を創立したのは、
 
アメリカから渡ってきた若い女性でした。
 
 
 
わたしが在学していたときに100周年があったのですが、
 
戦前にプロテスタント系の若いアメリカ女性が、
 
日本で女学校を作ろうと志して来たのです。
 
お名前をゲーンズ先生と言います。
 
 
 
何もご縁のない土地で女学校をつくり、
 
キリスト教の精神を広めていったゲーンズ先生。
 
 
それはすごい勇気があることだと思います。
 
 
 
学校にはゲーンズホールという講堂もあり、
 
ゲーンズ先生の教えが、今でも伝えられています。
 
 
 
その中で、中学1年の最初から習ったのは、
 
「チェストアップ(胸を張りなさい)」
 
ということ。
 
 
 
その姿勢に全てが現れているからと。
 
 
 
だから学校の中に鏡がいっぱいありました。
 
 
各階段の下には全身鏡。
  
窓・鏡・窓・鏡・窓・鏡という感じで。
 
それでみんな姿勢を正していました。
 
 
 
そのことは、今でも尊敬しています。
 
すごい先生だな、と。
 
 
 

やっぱり、今自分がブラジルに来て分かりますが、戦前ですよ。
 
第一次世界大戦前、これからどうなっていくか分からないときに、
 
まったく言葉も分からない場所なのに。
 
 
 
ブラジルには日系社会があって、お友達も作りやすいですが、
 
そんなものも全くないところにいって、
 
女一人で、どんな野蛮な国かも分からないのに、女学校を作って、
 
ほんとうに若い女ざかりのときに、普通の幸せをまるであてにせず。
 
 
 
ゲーンズ先生は、そのまま日本で亡くなられたはずです。

 
 
この先生のこと、ほんとうに尊敬しています。
 
 

 
 
 
神様と祈り

 
 

それまでの「神様」という概念は、なんとなく、
 
神社でおまいりする神様だったり、
  
ぼんやりしたイメージしかありませんでした。
 
 
 
でも女学院に行って、しっかりとした裏づけと意味を知り、
 
「神とはそういうものだったんだ」
 
と学びました。
 
 

神というものに対して、みんながいっせいに祈る。
 
 
 
わたしは、全くの異文化にふれたのです。
 
それも毎朝、神に祈るのです。
 
 
 
ふつうの学校だったら、
 
朝礼があって「ろうかを走ってはいけません」とか、
 
注意事項が連絡されます。
 
 
 
そうではなくて、朝から、神に祈る時間があるのです。

先生がたもキリスト教の人が多く、
 
交代でお話をしてくださいました。
 
 
 
聖書の言葉が読まれ、
 
 
「マタイによる福音書。ジョセフがタネを植え、イサクが水をやった。
 
 けれども成長させてくださるのは、神のみである」
 
 
そんな言葉を聞くのです。
 
 
 
言葉の意味は、分かるような分からないような・・・ですが、
 
とにかく、かっこいいと思いました。
 

 

女学院の生徒は、制服に校章をつけていました。
 
 
銀色で盾(たて)の形をしていて、そこにたしか、
 
「わたしたちは神の労働者なり」
 
という意味の聖書の言葉が、ラテン語で書いてありました。
 
 


また、有名な、
 
「愛は寛容であり、愛は情け深い。
 
 また、妬むことをしない。
 
 愛はたかぶらない、誇らない、不作法をしない、
 
 自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
 
 不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、
 
 すべてを望み、すべてを耐える。」
 
 
これは一番感動しました。
 
 
他にも、ノアの箱舟や、アダムとイブなど。
 
以前から、お話としては知っていましたが、
 
聖書とはこうなっているんだ、ということがよく分かりました。
 
 

マリアには4人いるのですが、
 
マグダラのマリア、イエスの母のマリアなど。
 
もっとも感動したのは、マグダラのマリアでした。
 
 
 
彼女は売春婦で、この職業はやはり当時も蔑視(べっし)されていて、
 
民衆がいじめだして、
 
「こいつは汚い女だ!」と、
 
みんなが石を投げ始めたのです。
 

石で殴り殺しにされそうになったマリアの元に、イエスが現れ、
 
 
「今まで何も悪いことをしたことが無く、
 
 何も心に悔やむことが無い者だけが、
 
 石を投げなさい」
 
 
そう言うと、民衆はわが身をふりかえり、石を投げるのを止めたのです。
 
 
 
 
 
また時々、イエスは奇跡を起こします。
 
 
死にかけた人を救ったり、
 
ハンセン病というとても疎まれた病気があったら、(皮膚病になって隔離される)
 
その病気になった人たちを癒してあげたり。
 
そういう話にも感激しました。
 
 
 
定番の神への祈りもありました。
 
 
「私たちをあなたの道具としてお使いください」
 
 
「天にまします我らの父よ
 
 ねがわくは御名(みな)をあがめさせたまえ
 
 御国(みくに)を来たらせたまえ
 
 みこころの天になるごとく、
 
 地にもなさせたまえ
 
 我らの日用のかてを、今日も与えたまえ
 
 我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
 
 我らの罪をもゆるしたまえ
 
 我らをこころみにあわせず、
 
 悪より救い出だしたまえ
 
 国と力と栄えとは、
 
 限りなく汝のものなればなり
 
 アーメン」
 
 

というのが好きで、
 
夜も祈っていました。
 
 
 
 
この祈りが好きだった理由は、
 
すごく良い言葉で内容も美しいからです。
 
 
 
 
平和の祈りもありました。
 
 
いつも先生たちが、礼拝の後に必ず祈る時間があって、
 
 
「今、具合が悪くて欠席しているお友達に慈しみをお与えください。
 
 世界中で苦しんでいる人たち、
 
 戦っている人たち、
 
 つらい思いにさらされている人たちを、

 どうぞお救いください」
 
 
と言うのです。
 
 
 
それがすごく好きで、
 
この礼拝堂で800人の生徒が、世界に対してそういうふうに願うということは、
 
とても尊いことであると感じました。
 
 
 

今思えば、教訓めいたものが好きだったのか、
 
小学校でも本を読むのが好きで、
 
同学年では図書館でもっとも本を借りた生徒でした。
 


そのときに、ああ無情とか秘密の花園とかの文学も読みましたが、
 
道徳っぽい話を読むのも好きでした。
 
「○○ちゃんは大きなりんごを欲しがりました」
 
とか、お兄ちゃんと弟の話とか。
 
 

広島女学院中学校は、清らかな世界がここにあるなあ、と思った3年間でした。
 
 
  
 
 
 
疑問が生まれる
 
 

しかし、その中で、天国に入るとはどういうことなのか?という疑問が生まれました。
 
 

「天国の門は、はりの穴より小さい」
 
という言葉が、気になるようになりました。
 
 
また、神が時々いじわるになるのはなぜ?と思ったりもしました。
 
 
 
 
 
 
カテゴリ ”光雲が仏教を求めた理由”
 
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