tag:blogger.com,1999:blog-179455981725699992024-02-19T18:41:52.341+09:00光雲な毎日久保光雲のブログ(僧侶・画家)Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comBlogger175125tag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-65528492808020563252015-08-05T06:30:00.000+09:002015-09-24T08:47:23.839+09:001、お城を出てみて、出会ったもの。
父王の配慮によって、お城の中で美しいものばかり見て
育っていたシッダールタ。
しかしある日、お城の門を出た彼は、
それまで見たことがないものを目にします。
四門出遊(しもんしゅつゆう)
シッダールタが住んでいたお城には、
東西南北にそれぞれ1つずつ、門がありました。
シッダールタが東門から出てみると
背中が曲がり、髪が真っ白で、顔も体もシワばかりの人間を目にしました。
従者に、
「あれは何か?」
と聞くと、
「あれは老人といいます。誰でも年をとると、あのようになります」
と答えました。
それを聞いたシッダールタは、
老いという苦しみを知り、それ以上出かける気になれず、お城に戻ったのでした。
次に南の門から出てみると、
顔をゆがめ、もKounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-90875325978708501602015-08-04T10:07:00.000+09:002015-09-20T03:11:24.314+09:003、農民・虫・鳥に見た、この世の残酷さ。
少年シッダールタの鋭い感受性は、
小さなことから、世の残酷さを見抜くことになります。
王子が少年だった頃の話です。
ある日、シッダールタの国で農耕祭が行なわれました。
農産物の豊作を願うため、催されたお祭りです。
シッダールタの前で、農民が畑を耕していました。
農民がくわで土を掘り起こすと、虫が出てきました。
するとすぐ、小鳥が飛んできて、その虫を捕まえて食べてしまいました。
さらに上から、大きなワシがその小鳥を狙って、襲いかかっていったのです。
それを見たシッダールタは、憂鬱な気持ちになりました。
「なぜ、生きものは殺し合わないといけないのだろうか」
殺し合わないといけないという言葉は、
現代の私たちにとって、ピンと来Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-82361243529347222602015-08-04T07:42:00.000+09:002015-09-20T00:47:13.751+09:002、文武両道、才能豊かなシッダールタ王子
(「光雲な毎日」より)
シッダールタはとても学問に優れていて、
武術(スポーツや武道)も、飛び抜けていました。
さらに、美しい顔立ちであったそうで、
ヤショーダラ姫という美しい女性を、妃として迎えました。
そして、かわいい子どもにも恵まれました。
これを現代的に言うと、頭も良くてスポーツ万能でハンサム。
しかも、その国で一番のお金持ちの家系。
さらには綺麗な女性と結婚して、健康な赤ちゃんも生まれた。
今の現代人が「こうなりたいな」と思うものの全てを、
シッダールタは、すでに持っていたわけです。
とても恵まれています。
才能も容姿も家柄も、そして家族までも。
またシッダールタの住居もKounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-49505741089972835812015-08-04T06:11:00.000+09:002015-09-20T00:47:36.705+09:001、インドの王子さまに生まれて。
ではこれから、仏さまのお話をしていきます。
しかしその前に、まず「仏さま」といわれても、
仏とはどんな意味か、分からないという人も多いかと思います。
「『あの人は死んで仏さまになられた』と言うから、
死んだ人のことを仏さまと言うんでしょ?」
そう思っている人も、おられるでしょう。
でも、死んだらだれでも仏になれるわけではないのです。
仏教の教えを聞いて、その道を歩んだ人が、仏さまになれます。
それでは、「仏になる」とは、どういうことでしょうか?
これを理解するためにも、
仏さまとなられたお釈迦さまについて、見ていきましょう。
(「光雲な毎日」より)
お釈迦さまは、今から2500年前の北インドの国に、Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-78783195312582052752015-08-03T10:40:00.000+09:002015-09-19T19:09:26.128+09:003、仏教と出会った
仏教の話に入る前に、
もう少し、人生についてわたしが感じていたことを、
お話させてください。
死と孤独感
人生とは、なぜこんなに寂しいのか? なぜこんなに孤独なのか?
この人生というものと、どうやって折り合いをつけていけばいいのか?
これが、わたしにとって、とても大きなことでした。
ロダンとカミーユのこと
ところでみなさんは、「考える人」という彫刻を作った、
オーギュスト・ロダンという人を知ってますか?
そのロダンの女弟子で恋人の、カミーユ・クローデルという人がいます。
彼女自身が優れた作品を残しましたし、
「私がいなければ、ロダンはあれほど素晴らしい作品を残さなかっただろう」
というくらい、ロダンにも影響を与えたひとです。
カミーユ自身の作品は、ロダンのものよりKounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-17682926108398723262015-08-03T07:34:00.000+09:002015-09-11T20:34:03.224+09:002、芸術との格闘
小学校6年生・正月
絵も本も好きだった、子ども時代
小さい頃から、絵を描いたり本を読んだりするのが、大好きでした。
お母さんによると、外に遊びに行っても、走って帰ってきて、
家で本を読んでいるか、絵を描いていたそうです。
青いクッキーの缶にクレヨンが入っており、よく絵を描いていました。
お姉ちゃんの木の机の裏や内側に、
油性マジックで「あいうえお」「かきくけこ」と、
えんえん、ひらがなを書いたりもしました。
そんなことをすれば、怒られそうなものですが。
でも、怒られた記憶がまったく無く、
のびのびとマジックで書いていたようです。
背中からあたたかい陽の光が差していて、
とても平和な気持ちで書いていたのを、覚えています。
また、家には大人の腰Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-16794496524627868412015-08-03T06:15:00.000+09:002015-09-02T08:05:38.372+09:001、恋愛を頼りにしたけれど・・・
今回は、わたしが経験してきた恋愛について、
振り返りながら、書いていきます。
ある愛の詩(うた)
『ある愛の詩』という映画をご存知ですか?
1970年代のアメリカ映画です。
わたしは、この映画を小学校高学年ごろ、見ました。
オリバーとジェニーという若い2人が出会って、
結局、女性(ジェニー)が白血病で死ぬのですが、
オリバー役のライアンオニールがかっこよくて、
スケートリンクの観客席に座って、
彼が背中を向けて座って言うのです。
「ジェニーが愛したものは、モーツァルトとバッハ、ビートルズ、それに僕・・・」
わたしはこの映画を見て、
ずっと好きってあるんだなあ、すてきだなあ、と思いました。
文学や映画を通じて
母がいわゆるKounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-42659600016769450502015-08-02T10:18:00.000+09:002015-08-31T01:23:39.767+09:003、神様への疑問
神様って、本当にいるの?
神様に対する疑問は、どんどん増えていきました。
神様がいる、ということは、美しいことだと思う反面、
「神様が全知全能なのに、なぜ不幸な人がこの世にいるのか?」
「なぜ戦争が終わらないのか?」
「今、苦しんでる人たちを助けることが出来ないのは、なぜ?」
広島出身なので、原爆のことも疑問でした。
「神はなんでも知ってるんだから、原爆が落ちるのも分かっていたのに、
なぜ落ちるときに原爆を手でキャッチしてくれなかったのか?」
そんな気持ちが、どうしてもありました。
神はなぜ、この苦しむ人たちを、ただ見ているだけなのか。
また、小さなことも気になりました。
神がなんでもご存知ならば、
私が今していることも、これから起こす行動も知っているのかな。
Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-7974474309168710642015-08-02T07:35:00.000+09:002015-08-14T20:06:26.180+09:002、美しい祈り
なぜ、同じキリスト教で、こんな違いがあるのか?
あとで学んで分かったのですが、
キリスト教全体でいうと、カトリックが大きく広まっており、
信者の半分以上を占める大きな一派なのでした。
カトリックでは、教会・神父さん・信者さん、この関係がすごく濃厚です。
神父は聖職者で結婚もしないし、「信仰に導いてくれるすごい存在」になりがち。
すごい存在だから、権威力もあるし、信者はお金をたくさん払う。
教会も、立派なステンドグラスや絵画がせまってくる、とても荘厳でありがたい雰囲気。
そのカトリックの歴史を古くから見ると、
権威も集まりお金も集まり、次第に腐敗していったようです。
法王なのに女を買い漁っていたり、
男の法王と言われていたが実は女性で、馬の上で出産したとか、
そんな、うそのような話まであります。Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-73000185342937940972015-08-02T06:12:00.000+09:002015-08-14T20:42:15.110+09:001、初めて、宗教にふれた時。
最初の宗教の記憶
思い返せば、宗教についての最初の記憶は、おばあちゃんが「浄土真宗の門徒」でした
(浄土真宗は仏教宗派の1つ。門徒とは浄土真宗の信者のこと)
そして、わたしの通っていた幼稚園は、浄土真宗のお寺がやっているところでした
覚えているのは、茶道の時間があったこと
お茶をいれてもらったり、お菓子を食べるのが好きでした
ちなみに母によると、「幼稚園にはお仏壇があるのに、家にはない」といって、
折り紙でお仏壇を作って、仏さまを描いて、
ちょっと拝んでみたりするのが、好きだったそうです
もう少し大きくなった頃、映画で吸血鬼(ドラキュラ)が流行りました
ドラキュラが怖かったわたしは、映画の中でにんにく&十字架でやっつけられる彼を見て
「とにかくにんにくと十字架だ
十字架って、すごいKounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-77861647500519659962015-08-01T09:49:00.000+09:002015-08-13T10:29:41.260+09:003、もしも自分が死んだら、どうなるの?
亡くなった近所の子
子どもの頃、河原でよく遊んでいました。
家の前の土手をおりると、すぐ河原になっていて、
よくそこでみんなと集まりました。
その川は、たいして大きくもない、大田川の支流です。
深い場所もほとんどなく、わりと安全な場所でした。
ある日、 きみちゃんという1つ上の女の子が、向こうから走ってきました。
きみちゃんの家には、遊びにいくとよくお野菜入りラーメンを作ってくれる、
やさしいお母さんがいました。
そのきみちゃんが、異様にあせった感じで走ってきて、
「○○ちゃんが、大変や」
と言うのです。
分かったことは、
わたしたちが遊ぶ河原から400m下流で、
○○ちゃんという2才の女の子が、死んだこと。
小さな子が好きだったわたしは、その子ともよく遊んでいました。Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-78863539759519320002015-08-01T07:48:00.000+09:002015-08-05T19:57:54.302+09:002、お父さんとお母さんが好きすぎて・・・
ずっと怖かったこと
小さい頃から、わたしは母がすごく好きです。
母が家にいないときは、
早く帰ってきてほしいなと思いました。
けっこう、寂しがりやだったんですね。
だから、母がPTAの用事などで家にいないと、心配になって、
「お母さんが誰かにつれていかれる」とか、
「こわい人にケガをさせられる」とか、
そんな変な夢をよく見たものです。
父のことも大好きでした。
それで、今でも覚えていることがあります。
父によく似た顔の男性が、わたしが遊んでいる公園の横を、車で通ったのです。
「あ、お父さんだ」
そう思って、走っていって手をふったのですが、
気づいてくれませんでした。
それが悲しくて、わたしは泣いたのですが、
家に帰って「お父さん。今日、公園の横の道、車で走ったじゃKounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-26113124362230076942015-08-01T06:04:00.000+09:002015-08-05T19:57:52.033+09:001、すばらしい両親の元に生まれて
こんにちは、光雲です。
今回は、なぜわたしが仏教を求めたのか、お話したいと思います。
すばらしい両親
「光雲な毎日」という本にも書きましたが、わたしは、
とても面白くて日本人離れした明るい父と、
寛大で天然な母の元に生まれました。
今でも父のように明るい人には、会ったことがありません。
道を歩いている知らない人にもよく声をかけ、
タクシーに乗ったらすぐに運転手さんに
「カープはどうかいの?」
(広島だったので、野球チームのカープの試合について聞いている)
などと、しゃべりかけます。
どこに行っても気に入られる人で、
仕事先で「これ持って帰りんさい」と、
よくお土産をもらって帰っていました。
そんな父から、「あんたは世界一の娘じゃ」と、毎日のように言われて育ちまKounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-75700352985473776002015-07-31T20:02:00.000+09:002015-08-05T20:01:46.367+09:00いつ死んでも、大丈夫
これまで、人生がどのようなものか、全体像を見てきました。
振り返ってまとめると、
1、工夫次第で、楽(幸せ)を増やすことができます。
2、人生には、避けられない苦しみもあります。
特に「いつか必ず死ぬ」ということは、誰もが避けたいものです。
もしも「死ぬ」ことが無かったら
もしも「死ぬ」ことが無ければ、
人生をはるかに幸せの多いものになります。
みんなが死なないのだから、
大好きな人と別れることもありません。
もちろん自分が死ぬこともありません。
「死んだらどうなるか、分からない」という不安も、無くなります。
「死ぬ」ことは、人生最大の不幸
しかし、とても残念なことには、
わたしたちは必ず死ぬ日が来ます。
Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-4581532679503629542015-07-31T10:31:00.000+09:002015-08-03T02:31:34.560+09:00避けられない苦しみの種類
人生には「避けられない苦しみ」もあります。
代表的なものを見ていきましょう。
欲しいものが手に入らない
これは、人それぞれ違いますが、
「欲しいものが手に入らない」「やりたいことができない」という、
人生につきものの苦しみです。
・恋人がほしいのに、できない。
・結婚したいけど、できない。
などなど。
もちろん、工夫次第で解決できる場合も多いです。
たとえば
「自分はモテない。だから恋人もいないし結婚もできない」
と思い込んでいる人がいたら、
その思い込みを外すことで、 解決しやすくなります。
※思い込みを外す方法については、こちらのページをごらんください
1、思い込みを外すと、人生が広がる
http://koun18jp.blogspot.com.br/Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-51878067579008050752015-07-30T10:18:00.000+09:002015-08-03T02:19:26.659+09:003、苦(嫌なこと)を減らそう
前のページでは、楽(幸せ)の増やし方について、見てきました。
このページでは、私の苦(嫌なこと)の減らし方についても、
少しくわしくお話します。
嫌なことの減らし方
夜更かし
夜遅くまで起きるのが楽しい、という人もいると思います。
私の場合は、 次の日にスッキリ感がないままで
人と会ったり、仕事をしたりするのが苦手です。
それよりも、朝の光の中で絵を描いたり、
呼吸法をしたり、体操したりするのが気持ちよくて好きです。
静かな場所で自分の感覚にたずねてみることで、
「一見楽しいけれど、体が嫌がっているもの」を取り除くことができます。
そうやって、心地よい人生を作ることができるのです。
苦手なこと・できないこと
人には得意・Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-13893868924600112612015-07-30T07:34:00.000+09:002015-08-03T02:19:01.171+09:002、楽(幸せ)を増やそう
前のページで、私の楽(幸せ)の増やし方のリストを書きました。
参考までに、もう少しくわしくお話します。
場所
好きな場所を持つことは、私にとっては、とても大事です。
今まで10回以上、引越しをしてきました。
日本だけでなく、アメリカでも3回引っ越しました。
今はブラジルに来たところです。
新しい土地に来てすぐやることは、好きな場所を作ることです。
まず、どの地域でも、お気に入りのカフェを見つけます。
それだけで、毎日の生活が、自分らしくなってきます。
カフェだけでなく、川のほとりや湖の浜辺も、心がおちつきます。
滋賀県に引っ越したときは、
下見に行ったときに、夢のようにきれいな浜辺があり、
一目ぼれして、すぐにそこに決めました。
Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-52415096600980127982015-07-30T06:04:00.000+09:002015-11-14T09:52:02.430+09:001、幸せな人生の作り方
私には小さい頃から「ああ、楽しいな。幸せだな。」と感じることが、たくさんありました。
両親は愛情にあふれていたし、お友達も多くて、学校も楽しかったです。
けれども一方で、「人生には避けられない苦しみがある」とも感じていました。
両親のことが好きであるほど、いつか死に別れなければならないのが怖かったのです。
みなさんも同じように、人生の楽しさ・苦しさを見てきたと思います。
わたしは子ども時代から「できれば、最高に幸せな人生を歩みたい」と思っていました。
ここであらためて、 「最高に幸せな人生をおくる方法」について、
考えてみたいと思います。
幸せな人生と苦しい人生の差
下の図を見てください。
これは、Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-31245574381888690292015-07-29T13:17:00.000+09:002015-08-22T09:15:04.897+09:00『やさしさ反射神経』を育てよう。
これまで、体や心を幸せにするやり方を見てきました。
これらは、私(1人の人間)を幸せにする方法です。
しかし実は、幸せになる方法は、他にもあるのです。
しかもそれは、自分だけでなく、相手も幸せにする方法です。
やさしさ反射神経
わたしは「やさしさ反射神経」があると、つねづね思っています。
たとえば「あの人、困ってる。助けてあげたい」と思っても、
妙な照れにジャマされることがありませんか。
サッと動きたかったのに、タイミングを失ってしまうことがあります。
わたし自身、相手を助けたいと思ったときに、サッと動ける反射神経を
育てたいなあと、いつも思います。
心がけることが第一歩ですよね。
やさしさを与えることで、わたしたちの人生は何倍も幸せになりKounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-6266466981093670772015-07-29T11:11:00.000+09:002015-08-02T11:34:07.921+09:00外国の人にも興味を持ってもらえて、すぐに仲良くなれる方法
これまで、心の幸せをふやすコツについて、書いてきました。
今回は、心が幸せになってきた人に、
みんなと仲良くする方法についてお話したいと思います。
でも、「しゃべるのが苦手で・・・」という人も、いるかもしれませんね。
そんな人も、きっと、参考にしていただけると思いますよ。
外国の人とも仲良くなれる
初めてお会いした人と仲良くなるために、
わたしが使っているものを紹介します。
それが、この名刺です。
これは2つ折りで、
表には、わたしの絵と顔写真
中を開くと、
わたしの興味あるものや、
バックグラウンドが分かるイラストを、
マップ状に絵で描Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-86274642847091516892015-07-29T09:13:00.000+09:002015-08-02T11:05:40.697+09:003、思い込みを外すコツ
自分の思い込みを外すには?
わたしたちはゾウさんじゃないし、
杭とロープは目に見えるけど、
思い込みは目に見えないから、難しいかもしれません。
でも、思い込みを外すのは、不可能ではありません。
わたし自身が思い込みを外してきて、大事だと感じたポイントを教えますね。
といっても、ポイントはカンタンです。
それは、
「安心できて、リラックスできる場所をもつ」
ということです。
言い換えれば、
「どんな考えを持ってもよい、何を言ってもよい」と自分に許可してあげること。
そうすれば、自由に考えられるので、
「なにか苦しい感じがするけど、かたよった思い込みがあるんじゃないか?」と、気づける。
「本当にこの思い込みって、正しいんだろうか?」ということも、考えられる。
Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-59875772234363307052015-07-29T08:01:00.000+09:002015-08-01T10:49:52.953+09:002、つながれた子ゾウは、大きくなっても・・・
つながれた子ゾウの例え
前のページで「思い込みによって、人生が苦しくなる」と書きました。
この現象をうまく言いあらわした話があります。
それは、ゾウさんです。
耳が大きくて鼻が長いゾウさん。
ゾウを飼っている人が、まだゾウが小さいときに、
杭にロープでその子ゾウつなぎました。
まだ子ゾウなので、ゾウは杭を引き抜くことができませんでした。
そこで子ゾウは「自分はこの杭を引き抜けない」と思い込んでしまったのです。
その後、ゾウは成長して大きく大きくなりました。
杭なんてすぐに引っこ抜けるくらいに成長したのです。
しかし、です。
その大人になったゾウは、「自分はこの杭を引き抜けない」と思い込んでいるため、つながれたまま、おとなしくしているそうです。
どうでしょうか。
Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-84612978353649971062015-07-29T06:31:00.000+09:002015-08-01T10:19:15.769+09:001、思い込みを外すと、人生が広がる
こんにちは、光雲です。
今日のテーマは、
「思い込みを外して、幸せを増やす」
ということです。
読んで字のとおり、思い込みを外すと、幸せが増えるのです。
それはどういうこと? と思う人も、おられるでしょう。
たとえば、「私は料理が苦手だ」という思い込みを持っていたとします。
すると、
・料理が苦手だと思い込んでいる
→ますます料理をしなくなる
→ますます料理の腕がにぶる
→さらに料理が苦手になる・・・
そういう、悪循環をくり返すことになります。
そして最終的に、「私は料理が苦手だ」という思い込みを、実現してしまうのです。
これは苦しいと思います。
なぜなら、料理をする場面に出会うたびに、つらい思いをするから。
でもほんとうは、そんな思い込みを外して料理Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-58235747245012434222015-07-28T10:29:00.000+09:002015-08-02T04:40:29.092+09:003、自分自身に愛情表現しよう
自分自身に愛情表現しよう1 「好き」を大事にする
他人に愛情を表現するのと同じくらい大切なものが、
自分で自分に愛情を表現すること。
なぜなら、自分がゴキゲンであることが、
みんなの幸せにもつながっているからです。
その1つが、「好き」を大事にすることです。
思いつくままに挙げてみると、
・好きなこと、興味のあることをする
・好きなものを食べる
・好きな人と一緒にいる
などなど。さらに、
・好きな服を着る、好きなお花をかざる、好きな絵を飾る、
・好きな人とお気に入りのカフェに行く。
・好きな景色を見に出かける。
これを読んで、どんな気持ちになりましたか?
もしかしたら、自分の好きなものに時間やお金を使うなんて、
ちょっと、Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-17945598172569999.post-9341268648959926482015-07-28T08:01:00.000+09:002015-08-01T06:36:51.074+09:002、愛情が満たされたら・・・
2つの方法で、愛情を満たそう
これまで見てきたように、愛情を満たすには2つの方法があります。
1、気持ちを受けとめる
2、スキンシップ
これを絵にすると、こんなイメージになります。
「光雲な毎日」という本にも書きましたが、
私の父は、世界一の娘として私を育ててくれました。
母は、私のやりたいことを何でもやらせてくれました。
愛情のコップでいえば、愛情が溜まっていくどころか、
愛情でできた海にコップごと浸かっていたような感じです。
この愛情の海のような両親のおかげで、
私というコップは、これ以上なく満たされていました。
私はこの両親の愛情のおかげで、
「自分は最高によいのだ」という自己肯定感をもって、育つことができたのです。
Kounhttp://www.blogger.com/profile/04719331226221845049noreply@blogger.com